エッセイ

自分のために時間を使ってくれる友達が1人いればそれだけで幸せなんだ

 

これは2020年5月11日にメディアプラットホーム「note」に投稿したものです。

 

私は友達が少ない。一番古い記憶である幼稚園時代のときから現在まで、友達だと自信を持って言える人は片手に数えられるくらいだった。

挨拶をしたり、世間話をしたり、同じ部活だった同級生はたくさんいる。しかし、ほとんどの人たちが今は音信不通であり例え道ですれ違ってもお互いにわからないと思う。

小学校も中学校も高校も大学も、いつも誰かに囲まれ教室中にワイワイキャッキャとした声が響き渡る同級生がキラキラして見えていた。とても羨ましかった。そういう人ってTwitterやFacebook(それより当時はmixiの全盛期だったな)でもフォロワーが多くて、自分との差に歴然としたものだった。

とにかく、友達が多い人が本当に本当に羨ましかった。

 

 

つい最近まで、自分には何で友達が少ないのかと悩んでいたが、約30年生きていてやっと見つけた答えは「自分から他人に関わりにいく姿勢がないから」。

私は人と関わるのを避けて生きていた。

例えば学校内で、廊下を歩いていて向こうから同級生が来るのに気づいたら、「私はあなたの存在に気づきませんでしたよ」という雰囲気を醸し出して素早く角を曲がる。その人とすれ違うとなると、何か言葉を交わさなきゃいけなくなるから。どんな言葉を交わして良いかわからないから、言葉を交わす状況を作らなければよい。

大人になった私も、ずーっとそうやって人と関わらないようにして生きていた。

そんな私が友達を多く作れるわけはなく、今でも友達が片手で数えるほどしかいないのは自分の行動の結果なのだから仕方がない。

 

でも、私には私のために自分の時間を使ってくれる友達が1人いる

先日の私の誕生日に、封筒が届いた。今の時代には珍しい、可愛らしいキャラクターが書かれた封筒。差出人は、私の数少ない友達の1人。いや、たった1人の友達かもしれない。

その友達は電車ですぐ会える距離に住んでいたのだが、少し前に恋人のもとへ引っ越してしまった。遠く、飛行機を使わないと会えない距離のところへ。

そんな友達からの封筒を開けると、2つ折りのカードが入っていた。開くと「Happy Birthday!」と書かれた文字とケーキのイラストが浮かび上がってきた。

その他に、便せんが入っていた。

「ちょここへ。お誕生日おめでとう!育児はどう?きっと大変だよね。私はいつもちょここを応援しているからね!頑張り屋のちょここは誰よりも尊敬できる自慢の友達だよ」

このような内容の手紙が、便せん2枚に書き連ねてあった。可愛い手書きのイラストも添えて。

私はこの友達の私に対する思いに驚き、とても嬉しくなった。

私のためにここまでしてくれている

封筒と便せん、バースデーカードを選ぶのにどのくらいの時間を使ったのだろう?

切手はコンビニや郵便局に行って買ったのだろうか?

この文はいつどこでどのくらいの時間をかけて書いたのだろう?

そもそも、いつから手紙を送ることを考えていたのだろう?

この友達は、私に手紙を送ることにこんなにも自分の時間を使ってくれた。

私はこの友達にとって、自分の時間を使いたいと思える相手だということがとても嬉しかった。私にも友達がいるんだという自信にもなった。

この友達は一生大切にすると心に誓っている友達だ。

友達は数ではないとよく言うけれど、私もそうだと思う。私は友達は少ないけれど、もしこの先何百人も友達ができたとしても、この友達には適いっこない。

自分のために時間を使ってくれる相手が1人でもいれば、それだけで十分幸せなことなんだよ。

 

 

ABOUT ME
ちょここ
1才8ヵ月差の2才娘と0才息子を育てるアラサー。平日は主婦、土曜日は看護師。首都圏の賃貸1LDKにて家族4人で暮らしています。持ち家なし、車なし、自転車なし。そして家はエレベーターなしアパートの3階。不器用でいつも遠回りしちゃうけど人生まだまだこれから。いつかの3人目を夢見て。
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