おにぎりが「からい」だ。「つらい」ではない。
ただ、あのおにぎりは「からくて、食べるのがつらかった」という意味では、どっちで読んでも良いのかもしれない。
後にも先にもない、私が作った「辛いおにぎり」。
あれを食べさせてしまった懺悔の気持ちも込めて、これを綴る。
*
私には8歳下の弟がいる。その日の弟は幼稚園児くらいだったから、私は多分中学生だ。理由は覚えていないが、その日は私と弟の2人でお留守番をすることになった。
用事が立て込んでいるのか、昼食時間を過ぎても母が帰ってこない。そういう日に限って、総菜パンとかシリアルのような、簡単に食べられるようなものが家になかった。これでは小さな弟が可哀想。私は、冷蔵庫にあるタッパーを取り出し、電子レンジでチンした。おにぎりを作ろうと思った。
予め言っておくが、私は料理が苦手だ。これは、29歳の今もそう。
それは私が不器用だという持って生まれたものもあるし、小さいころから料理をほとんどしていなかったという環境もある。
きっと母と一緒に作ったとかならあると思うが(そう思いたい)、私は中学生にして初めて、おにぎりを作った。
今は初めて作る料理でも、動画を見ればなんとなく手順がわかるから便利だ。しかし15年以上も前の当時は、そんなものは手元にない。
私が覚えているのは、母がおにぎりを握る姿だけ。
手を濡らしていたな。手に塩をつけていたな。母のおにぎりは、三角。両手をくっと曲げるように握ればいいのかな。
無愛想な形ながらも、おにぎりらしいものができた。弟、おにぎり作ったよ。食べる?
幼稚園児の弟は、うん!と言って、サランラップをめくり、お米を口に入れた。
・・・・・
・・・もういらな〜い。
弟は、一口食べて、どっかに行ってしまった。
え?なんということ?そんなにまずかった?
というか、おにぎりにまずいとかあるの?
私も一口食べてみた。
まずい。
かなり、まずかった。
なんだこりゃ。まずいというか、そもそも食べられない。辛い。からい。
ちなみに具材はない。お米と塩だけだ。塩を入れすぎてしょっぱいならわかるが、からいというのは予想外だ。からしのおにぎりとかでもない。なぜか辛い。
料理下手な自分でも、その原因はすぐにわかった。
この辛さは、コショウだ。
そう、私はおにぎりを握るとき、塩ではなくコショウを手にまぶしていた。ご飯が黒くなっていったから、握ったときに確かに違和感はあった。でも初めておにきりを握った私はそれを気に留めなかった。
母が帰ってくる前に、おにぎりは捨てた。母にバレたくなくて、ティッシュでぐるぐる巻きにしてゴミ箱の奥底につっこんだ。
弟も、おにぎりを食べたと母には伝えなかった。
それくらい、なかったことにされるくらい、からいおにぎりたった。
幼稚園児の弟にトラウマを与えてしまったのではないかと、申し訳ない気持ちになった。
今は二十歳も過ぎた弟は、あれを覚えているのかどうか聞いたこともないけれど。
弟、本当にごめんね。
*
今は1歳児の我が子のために、3食のどこかで必ずおにぎりを握っている。まぶすのは赤ちゃん用のふりかけだ。んまーんまーと言いながら娘は頬張ってくれる。
娘がもう少し大きくなったら、塩のおにぎりを作ることがあるだろう。その時、私は必ずあのおにぎりのことを思い出す。
そのたびに口の中が辛くなって、胸も締め付けられる気がする。
ご飯はね、美味しいものを食べたいよね。
すごく凝ったもの、という意味ではなくて、その食材に合った調味料を添えたものを。
それが一番難しいのかもしれないけど。
子どもに、美味しい!また食べたい!と言ってもらえるおにぎりを作れるようになるのが、私の密かな目標だったりする。
2020年9月21日 noteより