せれなのプロフィール

家族コンプレックス

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私は実家が嫌い。いや、「だった」というべきか。今は昔ほどの強い嫌悪感こそないものの、飛行機を必要とする物理的距離で隔てられていて良かったと思っている。

実家が嫌いと言っても、弟たちを嫌いになったことはない。異性の兄弟だからか年頃になると顔を合わせることにこっぱずかしさを感じはしたけれど、嫌だと思うことはなかった。私が嫌いだったのは、両親

先に述べるが、大人になった今、両親は好きだ。私を育ててくれた感謝の気持ちがある。

たまに電話やビデオ通話をしたり、贈り物をし合うくらいには親子関係は維持できている。親の嫌な部分を見ないようにする技も身に着いた。

だから、親を憎む気持ちを綴りたいのではなく、子育てをしている今、自分の人生のテーマでもある”家族”の原点に戻って今一度自分の目指す家族像というものを考えてみようと思いパソコンの前に座った。

目次

どこにでもいる家族だけど

私の父親は公務員、母親はスーパーのパートで仕事をしている。

世帯年収も平均的で、毎日贅沢なものを食べることはできないけれど夏休みには家族で遠出するような、どこにでもいる普通の家族だったと思う。

幼少期は自分の家族について何か感情を持ったことはなかった。だって、それしか知らなかったから。
家の中が子どもの時分の世界の全てであり、母親と父親だけを頼りにして生きていた。
まあ、これは私だけではなくてどの子どもにも共通することだと思うけど。

自分の家族について違和感を持ち始めたのは、確か中学生くらいだったと思う。

小学校高学年くらいで親に反抗しまくっていた記憶はあるけど、それが「家族への違和感からくる行動」だと気づいたのは大人になってからだった。

自分で「家族が嫌だ」と認識できた頃には、中学生になっていた。

両親が嫌いだった

ヒステリックな母

母は家事など細かく丁寧にやる一方で、自分の思い通りにならないとヒステリックに怒る性格だ。

料理は美味しいし家の中は常に綺麗だったけれど、私が何かをしたときに母が鬼の形相で「ちょっとあんた!!何してるの!いい加減にしなさい!そんなことが許されると思ってるの!?」とまくしたてるように怒鳴る姿は今でも忘れられない。

むしろ私が実家にいる頃の母といったらその姿しか思い出せないくらいだ。

恐らくその母の姿に影響されてだと思うが、私は今でも大声で叫ぶ人が苦手だ

怒っていなくても、声が大きいだけで「私は怒られているのかな?」と緊張し委縮してしまう。

また、母は小言も多かった。

例えば私が普段しない料理をやると何かと言ってくる。家の手伝いをしようとしてもあーだこーだとうるさい。自分が着たい服を選んだのに、似合わないだとか寒いだとか聞いてもいない感想を述べてくる。

それは全て、「自分(母)の予定外のことはしてほしくない」という思いからくる言葉だった。
私の料理でキッチンが汚れるから(予定外の)掃除をしないといけない、私のお風呂掃除は不十分だから(予定外で)また洗わないといけない、私の子どもは(予定では)そんな恰好はしない―――実家にいる頃の私は、「何かしたい」という気持ちが母の小言によって潰されていった

また何か言われるから何もしないことが正解だ、というように。

寡黙な父

父は仕事以外に何をしているかわからない寡黙な人だ。

家にいるときは自室にこもっているから私は父の好きなものも趣味も知らない。

母と交際時から物静かだったという父は、仕事から帰ってきても例えば「今日はどうだった?」という子どもへの興味関心からくるような言葉を発することはなく、一番風呂に入り、ご飯を食べ、自室にこもる。

私は日常生活の中で父と話すことは滅多になかった。だから父と言葉を交わすときは緊張したし、そもそも父との接し方がわからなかった。

会話のない家

そんな両親で成り立つ家の中は、会話がなかった

あるといえばあるのだけど、父親の夕飯時にテーブルの向かいに座った母が仕事の愚痴を繰り返し父親が適当に相槌を打つ、といったくらいで会話と呼べるものではないだろう。

性格もあるかもしれないが、「人と話す」ことを間近で見たことのない兄弟同士も、交わした言葉が少ないまま成長した。

家族皆が一日の大半を自室で過ごしていたため、テレビがなければリビングは文字通りの無音だった。

ご飯も別々だし、家族が同じ場で同じ時間を過ごすことのない生活を送った。

楽しそうに見えなかった父と母

私は父と母の関係性にも嫌気がさしていた。二人の夫婦は見ていて虚しかったから。

父の身の周りのことは全て母が管理しているが、父も母もそれがさも当然だと言うように何も疑問を持たないことが私には不思議でならない。

父はいたって健康体なのに、なぜ本人はソファから動かず母がキッチンからリビングへ食事を届けるのだろうか。
水くらい自分でコップに注げばいいのに。仕事で使うスーツは自分でクローゼットから出したら?

こんな王様と召使のような二人の関係が、私はすごく嫌だった。

他には、「なんでこの二人は結婚したのかな?」ともいつも思っていた。

会話がないのはもちろんだけど、父と母が二人で一緒に何かをするのを見たことがない。
一緒に出かけることもなければ、一緒にアルバムを見ることもない。
お互いをどう思っているかさっぱりわからなかった。

つらつらと書いたが、要は私の父も母も「楽しそうに見えなかった」ことが私はとても辛かった。

楽しくないなら、なんで結婚したの?なんで子どもを産んだの?なんで仕事をしているの?なんでご飯を作っているの?

子どもの頃の私は、父と母が義務で毎日を過ごしているように思えた。

私が中学生のころはとにかく家が嫌で夜遅くまで彼氏と遊んでいたり、自分の机にボールペンで深い傷を何度もつけたり、部屋の壁に物を投げたりしていた。親には反抗しまくった。
イライラしているのに対処法がわからなかったら、そうするしかできなかった。
あるときは感情が爆発して、両親に「こんな家早く出たい!」と喚き散らしたこともあったが、あふれ出した私の感情を受け止められる両親ではなかった。

家の環境が変わることはなく、私の居場所は家の中にはなかった

一人暮らしで気づいた本心

大学生になり私は上京して1人暮らしを始めた(行きたい学校があって上京したのは事実だが、親から離れたいという気持ちが強かった)。

初めてのアルバイト先からもらった給料で「自分で働いて得たお金なんだから、好きなものを買わないとね!」とルンルンで買い物を済ませたあと、私はふいにこう思った。

「私の両親は、稼いだお金を自分たちのために使っていない。食費や子どもたちの学費、習い事だ。私が欲しいって言った服もゲームも買ってくれた。それなのに、親が自分のために何か新しいものを買った姿は見たことがない」

もちろん、お金を全て子どもに使うことが正しいと言ってるのではない。
自分よりも子どもを優先する気持ち
私は、これが親の愛情だと気づいたとき、1人暮らしの部屋の中で両親を思って泣いていた。

ずっと自分は両親のことが嫌いだと思っていたけれど、そうではなくて本当は両親が好きだったんだ。

きっと両親は不器用なんだ。恥ずかしくて言葉や態度に出せない二人なのかもしれない。
でも、二人なりに家族を守ろうとやってきた。子どもの私がそれに気づけなかっただけ。

大好きな両親と楽しい毎日を送りたいという気持ちが強すぎて、それが適わなくてむしゃくしゃしていたんだ。

それに、私ももうアラサーだからわかったけれど、「家が楽しくなかったのは親のせい」なんて、何でも人のせいにするのは良くないことでしょう。

家が楽しくなかったのなら、私はそれを変えるために何か行動したのか?と聞かれると私は何もしてない。それくらい私は受動的な人間だった。

これまで一方的に親が悪いかのような文章を書いてきたけれど、私自身にも反省すべき点は多々ある。

それでも、自分の原点となった出来事を客観的に見つめることで今ある自分の家族に還元しようとnoteで過去の稚拙な考えを書くくらいは許されるだろう。

居心地のよい家族を作りたい

私は夫と娘と3人で住んでいるこの家の中を楽しいものにしたい。

それはピエロのように人を笑わせるという意味ではなくて、家族で言葉を交わし、ちょっとした冗談で笑い、面白い話をして、美味しいものを食べて喜ぶといった、家の中に心地よさを感じることだ。

特に娘にそう思ってもらえるように、私と夫の関係は常に向上していきたい。

時には厳しい意見を言ったとしても、最終的には二人で一緒にいることが楽しいと思えれば良い

親がそう過ごしていたら、子供もきっと楽しいと思ってくれるはずだ

人間がなぜこの世に存在するのか哲学者でもわからないけれど、生を受けた以上大切な人と毎日楽しく過ごしていくことが私は一番人間らしい生き方だと思っている。

2020年5月22日 note

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